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春季彼岸会のご報告(3月20日)

  • 3月31日
  • 読了時間: 3分

春季彼岸会へのご参拝、誠にありがとうございました。

当日は天候にも恵まれ、約50名の皆様とともに、お念仏を申すひとときを過ごせましたこと、心より感謝申し上げます。


今回は、講師の小田朋隆先生(福岡市正聞寺住職)によるご法話をダイジェストでお届けいたします。


【ご法話】「帰依三宝」―南無阿弥陀仏のいわれ―


「またひとつ年を取りましたね」と笑い合える。そんな同世代のご門徒や、先にお浄土へ還られた方々との「御縁」が一同に会する時間は、何物にも代えがたい宝物です。お寺にお参りする功徳(良さ)とは、儀式に出るだけではなく、「元気にしていたか」「暖かくなったね」と言葉を交わし、人と人とのぬくもりを確認し合えることにあるのではないでしょうか。


事実は事実として。

 それでも「明るい道」を


散髪屋の鏡で見れば、隠しようのない白髪が増えています。「黒々としていたい」という願い(自己都合)とは裏腹に、事実は事実として推移していく。それが私たちの人生です。

浄土真宗が指し示すのは、決して「問題が消えてなくなること」ではありません。膝が痛い、腰が治らない、世情が不安……。そんな不都合な現実の中でも、「明るく顔を上げて歩める道」があるということ。それが「帰命無量寿如来」という、私を照らし続ける光の呼び声なのです。


南無阿弥陀仏の中身

 ――「帰依三宝」


聞信寺の記念法要テーマは「つなぐ光、響け念仏―届けよう正信偈」です。

仏様は「光」として表現されます。煩悩で目が濁り、闇の中にいる私に、向かうべき方向を指し示してくださるのが「南無阿弥陀仏」です。 その中身を紐解くと、古くから伝わる「帰依三宝(きえさんぼう)」という言葉に行き着きます。


  • 仏(ぶつ): 目覚めた人。お釈迦様や、私にお念仏を伝えてくれた身近な先人(諸仏)を指します。

  • 法(ほう): 変わることのない真実。形あるものは移ろいますが、南無阿弥陀仏の声となって届く真実は揺らぎません。

  • 僧(そう): 和合衆。人と人との豊かなつながりです。


現代は「しがらみ」に悩み、人を欺く詐欺が横行する厳しい時代です。それは、南無阿弥陀仏(三宝)が二番目以降に追いやられ、軽んじられてきた結果かもしれません。 「人との間柄を大切にしていますか?」――お念仏は、常にそう私に問いかけてきます。


お内仏(仏壇)は

 「自覚の場所」


池田勇諦先生は、お内仏を「自覚壇」と仰いました。誰かを供養するためだけの場所ではなく、自分自身が「目覚める」ための場所です。 AIやロボットが進化し、人間が人間を見失いそうな現代だからこそ、形あるもの(お仏壇や本堂)を通して手を合わせ、先人の願いを受け止めることが重要です。


結びに


親鸞聖人は、自分の考え(自己了解)に固執して、仏の教えを聞こうとしない状態を「七宝の宮殿に閉じこもっているようなものだ」と嘆かれました。 「私は正しい」「わかっている」という殻を脱ぎ捨て、もう一度、先ゆかれた方々の願いを聞き直してみませんか。

「帰敬式(おかみそり)」は、仏弟子として歩み出す誓いの儀式です。共に明るい道を歩んでまいりましょう。


【編集後記】 今回のご法話では、先生が教鞭をとっている九州大谷短期大学でのエピソードも紹介されました。授業を通して自分の「思い込み」に気づき、思っていたことをもう一回確かめ直す生徒の姿から聞法の原点を教えられた気がしました。聞信寺ではこのたびの記念法要(2026年10月24日)で帰敬式(おかみそり)を執行いたします。ぜひ受式くださいますようご案内申し上げます。次回の法要でも、皆様の元気なお顔を拝見できるのを楽しみにしております。

 
 
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