

盂蘭盆会報告
八月十七日、聞信寺にて盂蘭盆会をお勤めし、約五十名の皆さまにご参拝いただきました。講師には津垣慶哉先生をお迎えし、「人間とは? 仏さまとは?」と題してお話しいただきました。 「人間」という言葉は「人の間」と書きます。私たちは一人だけで生きているのではなく、多くの人との関わりの中に生きています。 講師は、人間が人間らしく生きる特徴として「手」と「言葉」、そして「死を意識すること」を挙げられました。 手は、仕事をしたり、手紙を書いたり、誰かの手を取ったりと、私たちの生活を支えています。普段は当たり前に使っているからこそ、使えなくなったとき、そのありがたさに気づかされます。 また、言葉によって人とつながり、思いを伝える一方で、言葉によって人を傷つけたり、誤解が生まれたりもします。そのような「手」や「言葉」をいったん止め、仏さまに心を向ける姿が「合掌」であり、「南無阿弥陀仏」のお念仏なのだとお話しくださいました。 続いて「仏さま」とは、インドの言葉で「目覚めた人」という意味です。私たちは目が覚めているつもりでも、大切なものに気づかずに生きていま
8月22日


永代経のご報告(6月21日)
永代経法要の様子 六月二十一日(日)、聞信寺において永代経法要を厳修いたしました。 当日は梅雨の時期にもかかわらず、約五十名の皆様にご参拝いただきました。 法要に先立ち、十一時よりお斎をいただきました。十三河原・新代・扇島地区の皆様が心を込めて手作りしてくださったちらし寿司が振る舞われ、久しぶりに顔を合わせる方々との会話も弾み、和やかなひとときを過ごしました。ご準備くださいました皆様に厚く御礼申し上げます。 ちらし寿司のお斎を美味しくいただきました 草野信之先生にご法話をいただきました 午後からはお勤めの後、久留米市真教寺住職の草野信之先生をお迎えし、「帰依処(きえしょ)ある人生」と題してご法話をいただきました。 先生は、健康やお金、家族などを頼りに生きる私たちに対し、人は決して一人で生きているのではなく、多くの人やご縁に支えられて生きている存在であることをお話しくださいました。また、 「自立とは依存しないことではなく、多くのものに少しずつ依存できるようになること」 という言葉を紹介され、自立の背景にも数多くの支えがあることを示されま
6月25日


春季彼岸会のご報告(3月20日)
春季彼岸会へのご参拝、誠にありがとうございました。 当日は天候にも恵まれ、約50名の皆様とともに、お念仏を申すひとときを過ごせましたこと、心より感謝申し上げます。 今回は、講師の小田朋隆先生(福岡市正聞寺住職)によるご法話をダイジェストでお届けいたします。 【ご法話】「帰依三宝」―南無阿弥陀仏のいわれ― 「またひとつ年を取りましたね」と笑い合える。そんな同世代のご門徒や、先にお浄土へ還られた方々との「御縁」が一同に会する時間は、何物にも代えがたい宝物です。お寺にお参りする功徳(良さ)とは、儀式に出るだけではなく、「元気にしていたか」「暖かくなったね」と言葉を交わし、人と人とのぬくもりを確認し合えることにあるのではないでしょうか。 事実は事実として。 それでも「明るい道」を 散髪屋の鏡で見れば、隠しようのない白髪が増えています。「黒々としていたい」という願い(自己都合)とは裏腹に、事実は事実として推移していく。それが私たちの人生です。 浄土真宗が指し示すのは、決して「問題が消えてなくなること」ではありません。膝が痛い、腰が治らない、世情が不安…
3月31日


報恩講のご報告(1/26〜28)
本年も聞信寺報恩講を、1月26日から28日までの三日間、無事にお勤めすることができました。 寒さ厳しい中ではありましたが、のべ約二百名もの皆さまにご参拝いただき、本堂にはあたたかな念仏の声が満ちる尊いご縁となりました。 法要の様子 お勤めの後にはお斎を囲み、久しぶりの再会を喜び合い、語らいの輪が広がるなど、報恩講ならではの和やかなひとときも生まれました。お念仏のご縁でつながるお寺のありがたさを、あらためて感じさせていただく時間となりました。 ご法話の講師には、滋賀県長浜市より秦信映先生をお迎えしました。先生は「倒立懸垂(とうりつけんすい)」というテーマのもと、私たちの当たり前がひっくり返されるような仏さまのまなざしについて、親しみやすく、やわらかな語り口でお話しくださいました。 時に笑いも交えながら、日々の暮らしの中で念仏申す身として生きるよろこびを伝えてくださり、うなずきながら聞き入る姿が本堂のあちこちに見られました。 報恩講は、宗祖親鸞聖人のご恩に報謝し、お念仏の教えに出遇い直す、聞信寺にとって一年で最も大切な御仏事です。このご縁をいただくこ
2月6日

